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主クリシュナの降臨

​主クリシュナの降臨

今から約5千年前、北インドにおいて主クリシュナが降誕されました。降誕の目的は当時の悪王カンサなどを退治することと宗教的規範を改めて確立することでした。そのため多くの神々もクリシュナを補佐すべく人間として生まれてきたと言われています。アルジュナもその一人です。

クリシュナが降誕しヴィシュヌの姿を現す

インド史観では432万年ごとに時代が盛衰を繰り返すと見られており、それを四期に分割します。各期の変わり目には神自らが人間として世に出てこられると言われ、マハーバーラタ戦争が起こった紀元前3102年2月18日から第四期のカリ時代(暗黒時代。争いと偽善の時代)が始まったとされます。

 カリ時代は43万2千年続き、その終わりには救世主カルキが現れて悪を滅ぼすと言われています。ヨハネの黙示録に出てくる白い馬に乗った騎士(忠実で真実な者。義によって裁き戦う方。(黙示録19-11))をカルキと考える人もいます。

 旧約聖書において、人は神に似せて作られたと言われています。(創世記1-27)。イエス・キリストを神の子と素直に受け入れられるならば神が人格を持って現れるということは極めて自然だと思えます。

 主クリシュナが牢獄の中で産まれた時、周りは神聖な光で満たされました。父ヴァステーヴァと母デーヴァキは赤ん坊の余りの美しさとヴィシュヌ神の姿を見て畏れ、喜びにふるえ主を賛美しました。産まれた子が男の場合には悪王カンサによって殺される運命にありました。赤ん坊のクリシュナが口を開きました。「私をゴクラ村に連れて行って、今しがた産まれたヤショダーの子とすり替えてください」と。

カリユガの終わりに救世主カルキがあらわ現れる
カルキ
ヤムナ川を渡る

ヤムナ川を渡るクリシュナ

ヤムナ川がクリシュナに道をあける

ヴァステーヴァが誰にも知られず、無事に子供を差し換えて、牢に戻りますと、カンサが慌ててやってきて、両親の命乞いも聞かずに、赤ん坊を取り上げ壁に投げつけると、赤ん坊はたちまちドルガー女神に変じて言いました。「愚か者め。お前を殺す子供は既に産まれている」。カンサは恐れ、国中の赤ん坊を殺戮します。まるでモーゼ、イエスが産まれた時の話を聞くようです。悪魔はいつも罪の上塗りをして恥じることが有りません。クリシュナは様々な災難から逃れ成長し、やがてカンサを殺すことになります。

牢屋の鍵は、主の力によって自然と抜け落ち牢番たちは眠りこけてしまいました。ヴァステーヴァは子供を急ぎ抱きかかえると、村に向かいました。向かう途中、激しい風雨の中、ヤムナ川はクリシュナに道を開けました。(出エジプトの紅海の奇跡みたいです。)そして川の中から頭が何個もある竜が現れ頭を傘のようにクリシュナの上に広げ雨から守りました。

悪魔カンサを笑うドルガー女神
魔女プータナ

魔女プータナとトリナヴァルタの​救済

クリシュナを殺してしまうまで、カンサは枕を高くして眠れません。彼は魔女プータナにクリシュナ殺害を命じました。非常に美しい女性に変身したプータナは誰にも疑われることなくナンダ(クリシュナの養父)の屋敷に入りこみました。そしてクリシュナを抱きかかえると乳房を含ませました。実はその乳首には猛毒が塗ってありました。

悪魔プータナの命を吸うクリシュナ

クリシュナがおとなしく目を閉じて乳を吸うと、プータナは悲鳴を上げ、大空へ飛び上がった後、多くの木々をなぎ倒して落ちてきました。そこには巨大な悪魔の死骸が有りました。

プータナによるクリシュナ殺害が失敗に終わったためカンサは次に悪魔トリナヴァルタを刺客に送りました。竜巻となって現れたトリナヴァルタはクリシュナを肩に乗せると空高く舞い上がりました。村中は大風に吹き上げられた砂で何も見えなくなりました。クリシュナが消えてしまったことで村人は探し回りましたがどこにも見当たりません。空高く連れさらわれたクリシュナはトリナヴァルタの肩の上で体重を鉄のように重くされました。その上、彼の喉をものすごい力で絞めるとトリナヴァルタは苦しみの余り絶叫して地に落ちて粉々になってしまいました。

悪魔によって空に巻き上げられたクリシュナ
悪魔プータナがクリシュナに退治される

毒はクリシュナには何の害も与えませんでした。それどころかクリシュナはプータナの生命の気まで吸ってしまわれたのです。人々は驚くとともにクリシュナの無事に胸をなで下ろしました。村人達が悪魔プータナの死体を焼いたところ、かぐわしい芳香が村中に立ちこめました。クリシュナに殺されることによってプータナは過去の多くの罪業が清められ昇天したのでした。神はまさに愛と慈悲のかたまりです。

悪魔トリナーヴァルタがクリシュナに退治される

クリシュナはと見ればトリナヴァルタの死体の上で楽しそうに遊んでおられました。カンサは様々な手段でクリシュナを殺そうと企てますが、クリシュナを傷つけることができる者など、いようはずがなかったのです。それからしばらくして母ヤショダーはクリシュナの口の中に宇宙を見るという体験をすることになります。

クリシュナをさらう悪魔トリナーヴァルタ
サイコロ賭博

​サイコロ賭博・ドラウパディの危難

 ユディシュティラ王ら五兄弟の王国に招かれ、その繁栄ぶりを見たドルヨーダナ王に激しい妬みがわいてきました。また将来、自国が脅かされるのではと不安がつのります。正義の士であるユディシュティラですが賭け事が大好きでした。そこでドルヨーダナはユディシュティラを陥れようと父親のドリタラーシュトラ大王を説得してサイコロ賭博の会を催す事になりました。養父のドリタラーシュトラの命とあらばユディシュティラも断わるわけにはいきません。兄弟全員でドリタラーシュトラの宮殿に向け出発しました。

 手厚い歓迎を受けた翌朝、賭博などという不道徳なことは止めましょうと言うユディシュティラでしたが「挑まれて断るのは武士として卑怯ではないか」、「負ける戦はしないのか」などと挑発されてサイコロ賭博を受け入れてしまいます。しかも相手はいかさま賭博の名人シャクニでした。仕方なく遊びのつもりで始めた賭博が段々と本気になり緊迫してきました。莫大な財産をかけて、サイコロを振れども振れども負け続けユディシュティラは、頭に血がのぼり、到頭、自分の兄弟や、妻のドラウパディまで賭けて負けてしまいました。

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ドラウパディの衣を剥ぐドフシャーサナ

 会場の周辺ではジャッカルが吠えたて、カラスの大群が空一面を覆い鳴きわめきました。大風と落雷などの凶兆にドリタラーシュトラ大王は恐怖に襲われ、息子のドルヨーダナを厳しく叱責するとともに賭博の無効を宣言しました。

 しかし憤懣やるかたないドルヨーダナは、またもやドリタラーシュトラを説き伏せ、国に帰る途上の五兄弟を呼び戻し、再度サイコロ賭博を行うこととなりました。いかさま賭博によりユディシュティラは再び負けて王位や一切の財産を簒奪されました。そして四兄弟とドラウパディとともに森に追放され13年間の忍辱の日々を送ることとなります。この時の恨みが後にマハーバーラタ戦争の引き金となります。

ドラウパディがドルヨーダナの命を受けたドフシャーサナに髪をつかまれて会場に引きずり出されてきました。悲鳴を上げるドラウパディの服を剥ぎ取り、多くの人の面前で辱めようとしましたが、彼女がクリシュナに祈ると、サリーはいくら引っ張っても尽きることが無く、ついにドフシャーサナはへたり込んでしまいました

服を脱がされるドラウパディ

​後ろにいるのはドリタラーシュトラ大王と王妃ガンダリ

賭博は正義の人の理性をも失わせる魔力があります。カジノ法案が可決されました。道徳を失った日本はどこに行くのでしょうか。ドリタラーシュトラの我が子を思う情もここまで来たら愚かとしか言えません。血縁関係による肉体意識から離れることは至難のわざです。

ドリタラーシュトラ

​ドリタラーシュトラの出城

マハーバーラタ戦争の悲惨

 ドリタラーシュトラ大王はマハーバーラタ戦争で破れ一旦は自殺しようとしますが、ユディシュティラたちは王として全面にたて孝養を尽くしたので、大王は100人の息子を失った悲しみもまぎれ幸せな時を過ごしました。しかし次男のビーマだけは大王を許せませんでした。戦争後15年がたちビーマはわざと大王の耳に入るように、周りのものに対し「ドルヨーダナらの悪党は俺があの世に送ってやったのだ」と言い放ちました。大王の耳にそれが伝わると大王の心は針で突き刺されるような激しい痛みを感じ、悔いても悔やみ切れぬ後悔の念に襲われ、城を出ようと決意しました。ユディシュティラらが引き留めるも大王の決意は固く、妃のガンダリ、弟ヴィドラ、大臣サンジャと共に城を出ることになりました。五兄弟の母のクンティも目の不自由な王と王妃の世話をするため同行すると言い張りユディシュティラらの悲しみは募りましたが、決意を覆すことができませんでした。

​マハーバーラタ戦争の悲惨

 彼らは鹿や樹皮の皮を衣服とし、粗食に甘んじ厳しい苦行を始めました。ユディシュティラは彼らのことが心配で国務に身が入らず、しばらくして多くの供を引き連れ森に様子伺いに行き再会を喜び合いました。

 城にお帰りくださいとのユディシュティラの説得もむなしく、逆に大王たちから早く帰りなさいと言われる始末でした。

 それから2年ほどして、ユディシュティラは、ドリタラーシュトラ、ガンダリ、クンティが森の火事で焼け死んだと聞き心が張り裂けそうになり慟哭するのでした。しかしそこにナーラダ仙があらわれ諭します。「嘆く必要はない、なぜなら彼らは厳しい苦行と神への瞑想によってこの世で付けた汚れをぬぐい去り、天国へと戻っていったのだ」と。

城を出るドリタラーシュトラ
城を出るドリタラーシュトラ

かつてのインドの上位階級ではこの世の義務を果たして老年になった際には、森に入り、この世のものから心を離すという修行をしました。古代インドの価値観によれば、人は死に当たって、最も強く思うものに引き寄せられてゆくと言います。何を強く思うのかが死後の世界と来世を決めてゆくとするならば、何が本当の終活か考えてみる必要が有りそうです。

サンジャから戦況を聞くドリタラーシュトラ
​マハーバーラタ戦争でサンジャから戦況を聞くドリタラーシュトラ。まん中はサンジャに千里眼を与えたヴィヤーサ
火に包まれるドリタラーシュトラ
ドリタラーシュトラの最期
貞女ガンダリ

神に呪いをかけた貞女ガンダリ

 ガンダリは盲目の王ドリタラーシュトラと結婚するに際し、決して夫を軽んじることがないようにと自ら目に覆いをした貞女です。かつてヴィヤーサ仙が空腹で疲れて王宮に来た際、心のこもった接待に満足したヴィヤーサ仙はガンダリに父に似た百人の息子が授かるであろうとの恩寵を授けました。

ヴィヤーサに祝福されるガンダリ

 マハーバーラタ戦争が終わり、ドリタラーシュトラとガンダリの所に五王子が挨拶に来ました。

 ガンダリも人の子の母です。百王子の命を奪われた悲しみと怒りに胸が押しつぶされ、五王子が来たならば呪いをかけようと待ちかまえていました。ガンダリの目隠しの下部から視線がユディシュテラの足元に落ちると怒りの熱で足の指が焼け焦げました。

 そこにヴィヤーサ仙が現れ、ガンダリに向かって「あなたの持つ寛容の徳を忘れたのか、あなたは常々、正義のあるところに勝利有りと言ってたではないか」と諫めます。

 五王子は恐る恐るガンダリの前にひざまずきこうべを垂れました。ガンダリは次第に怒りを内に収めて彼らを受け入れ抱擁しました。

​ヴィヤーサから祝福されるガンダリ

 一旦、怒りを収めたガンダリでしたが、ヴィヤーサ仙から与えられた千里眼で戦場の様子をつぶさに見た時、自分の子供達がむごたらしく殺されているのを見て気を失ってしまいました。意識が戻ると、その怒りの矛先はクリシュナに向かいました。「あなたは、この惨劇を避ける力を持っていながら行使しなかった。その報いを受けるがよい。36年後、あなたの一族は滅びるでしょう」と呪いをかけます。とんだとばっちりです。
 しかしクリシュナは、にっこりほほえんで答えました。「私以外に私の一族を滅ぼせる者はいません。あなたの呪いの通りになるようにしましょう。」と。

 ガンダリの呪いも含め、一切はクリシュナの采配なのでした。

ガンダリの怒りで足が燃える

ユディシュティラとガンダリ(小坂茂氏の画より)

 女性(貞女)の怒りは全てを燃やし尽くすほどの威力が有ると言われます。ドラウパディが着物を剥がれそうになった時、もしクリシュナの計らいが無ければドルヨーダナらはドラウパディの怒りにより、その場で焼かれて死んでいた事でしょう。ゆめゆめ女性(貞女)を怒らせてはなりません。(今時は、いそうにないので心配無用かもね。)

クンティ・マドリー

​クンティ、マドリーとその子供たち

 クンティはクリシュナの父ヴァステーヴァの姉です。ある日、王女クンティのいる王宮に聖仙ドルヴァーサスが訪ねてきました。ドルヴァーサスは非常に怒りっぽい性格なので機嫌をそこねて焼き殺された人もいるほどです。しかし彼女はドルヴァーサスのいかなる要求にも素直に従い、心から仕えました。(例えば真夜中にたたき起こして体を揉ませたり、食事を作らせたり、季節外れの果物を持ってこいと命令したり、ものすごいパワハラをしました。現代の女性なら蹴ってしまうかもしれません。)

 クンティの献身に満足したドルヴァーサスは、神々を呼べばたちどころに現れるという恩寵をクンティに与えました。クンティが試しに太陽神を呼んでみたところ本当に現れびっくりしたクンティが「申し訳ありません。間違ってお呼びしただけなのでお帰りください」とお願いすると、太陽神は「このまま手ぶらでは帰れない、お前に恩寵を与えてやろう」と言うと、クンティの体の中に熱い光が入りました。しばらくして、クンティのおなかが大きくなって太陽神のように美しい子供が生まれましたが未婚のクンティは事が露見するのを恐れて、すぐに川に流してしまいました。それがカルナです。

太陽神を呼ぶクンティ

太陽神を呼ぶクンティ

御者に拾われるかるカルナ

御者夫婦に拾われるカルナ

 カルナは御者の夫婦に拾われ育てられ、後にドルヨーダナと共に五兄弟と戦うことになります。カルナが生まれた後にクンティはドリタラーシュトラの弟のパーンドウ王に嫁ぎ、ダルマ神に祈ってユディシュティラを、風神に祈ってビーマを、インドラ神に祈ってアルジュナを身ごもりました。またアシュビン双神にとりなして、第2王妃のマドリーからナクラ、 サハデーヴァが生まれました。

 パーンドゥは短命で急死します。マドリーはサティ(女性の殉死)によってパーンドゥの葬儀の火中に微笑みを浮かべて身を投じ世を去りました。

 ドリタラーシュトラ王、ガンダリは五兄弟を引き取り育てることになりました。

アルジュナに狙われるカルナ

悲劇の英雄カルナ(戦場で馬車がぬかるみに、はまった時にアルジュナに殺されます)

火に身を投じる貞女マドリー

​クンティとマドリー。マドリーはサティで火に身を投じます。

サティについて:  パーンドゥが世を去り、クンティ、マドリーは共にサティを望みました。しかし二人ともが世を去れば、子供たちの母がいなくなってしまうので、クンティはマドリーにサティを譲ることになりました。

 サティの習慣は今では野蛮だという理由でほとんど無くなっていますが、古代インドではサティによって夫と共に天界に行くという考え方があり貞淑な妻は喜んで身を捧げたようです。肉体はいずれ朽ちるが魂は永遠だということを信じていたので、あの世の幸せを選んだのでしょう。

 ある女性の聖者は現代においてはサティを肯定しないが、サティは自殺ではないと言われます。ただし心身共に平静で無ければサティとは言えないそうです。いにしえの貞女たちには言葉もありません。

孝行息子シャルバン

孝行息子シャルバンとダシャラタ王

 孝行息子のシャルバンは小さい時から「母は神、父も神」と唱えて両親に孝養を尽くしました。彼が盲目の両親の目を直す方法を聖仙ヴァシシュタに問うとインド全土にある68ケ所の巡礼地を誰の力も借りず、乗り物にも乗らずに巡礼し、その聖水で目を洗うならば見えるようになるやも知れぬと言うのでした。

 それを聞いたシャルバンは天秤棒を肩に担いで片方に母を、もう一方に父を乗せ、厳しい巡礼の旅に向かうのでした

天秤棒を担ぐ孝行息子のシャルバンクマル
ダシャラタは誤って少年を射殺す

 ある日アヨーディヤ王国のダシャラタ王は森に狩りに出ました。湖のほとりに来た時、動物がピチャピチャと水を飲むような音が聞こえました。彼は動物の姿が見えませんでしたが、音の方向に見当を付けて矢を放つとギャーという悲鳴が聞こえました。驚いて近くへ駆け寄ると矢が少年の胸に突き刺さり血を流しているではありませんか。動顛するダシャラタに少年は、「私は盲目の両親のために水を汲みに来ました、どうか自分の両親に水を持って行って下さい」と頼むと息絶えてしまいました。

ダシャラタが少年を弓で射る

  水瓶を持って恐る恐る少年の両親に近寄るダシャラタ王に対し、両親は「シャルバンか」と問いかけました。ダシャラタが無言で立ち尽くしていると、再び聞かれたので彼は、二人の足元に頭を擦り付け、「私の不注意であなたの息子を殺してしまいました。申し訳ありません」と泣いてわびるのでした。

 しかし老人の怒りは収まりません。「たった一人のかけがいのない息子を殺したお前は、死ぬ時に息子の顔を見ることができないであろう。お前は嘆きながら死ぬことになるのだ」と呪いをかけると、二人とも息を引き取ってしまいました。
 後年、彼の息子ラーマ王子がダシャラタ王の第2王妃カイケーイーの邪心によって森に追放されることになった時、ダシャラタは悲しみのあまりに卒倒し息を引き取りました。いまわのきわにラーマの名を呼んでも、そこに息子たちは一人も居合わせませんでした。因縁の恐ろしさを思い知らされるお話です。

ダシャラタが孝行息子の親から呪われる
孝行息子が両親を巡礼に連れてゆく

なお、親孝行のシャルバンもその両親も、ダシャラタ王も、不幸な死に方をしましたが、敬虔な生涯をおくったので、いずれも神の世界に昇天したと言われています。

スラバのバナナ

ヴィドラの妻スラバのバナナ

  ヴィドラはドリタラーシュトラ大王の腹違いの弟です。彼はヴィヤーサ仙とメイドの間の子供として生まれました。常に公正なヴィドラは聖者として名高く、夫婦ともども深くクリシュナに帰依していました。ドリタラーシュトラに対しても率直な意見を述べて、その信頼が厚かったのですがドルヨーダナにとっては、けむたい叔父でした。

 ある日、クリシュナがドルヨーダナのもとを訪れ、同族同士の争いを避けるよう説得しましたが欲に目がくらんだドルヨーダナは聞く耳を持ちません。しかし、豪華な食事を用意して何とかしてクリシュナを丸め込もうとしました。
 クリシュナはそれをきっぱりと断るとヴィドラの家にやってきて、玄関先で叫びました。「クリシュナです。どうか何か食べさせてください」。あいにくヴィドラは留守で、妻のスラバは風呂に入っていました。彼女はその声を聞くと、丸裸であるのを忘れて慌てて玄関に飛び出しました。驚いたクリシュナは体を隠すようにと自らのショールを差し出されました。

スラバ1.JPG

 スラバはクリシュナを部屋に迎え入れましたが何も用意ができていません。困った彼女でしたが「おなかがすいているので果物でもいいから早く食べさせてください」と言われ、バナナを持ってきました。

 クリシュナを迎えた喜びのあまり彼女は恍惚となって、バナナの中身を投げ捨てて皮をクリシュナに差し出しました。しかしクリシュナは、にっこり微笑むとおいしそうに食べ始められました。

 ちょうどその時、ヴィドラが帰宅し、それを見て仰天しました。彼は妻を叱りつけると、バナナの中身をうやうやしく差し出しました。食べ終わった後、クリシュナはヴィドラに言われました。「大変おいしかったです。スラバの出してくれた皮の甘さには及びませんが」と。スラバはそれを聞いて喜びの涙を流すのでした。

神は豪華な食事を喜ばれるというのではなく、それを差し出した者の心を受け止められるのです。何事をするに際しても、真心が一番大切というお話でした。

シャンカラ

シャンカラ

 8世紀の聖者シャンカラ(アディ・シャンカラチャリア)はブラフマン(宇宙的概念・根源的エネルギー)とアートマン(個の魂)は同じであるとする不二一元論を説き、現代のインドの宗教界に大きな影響を与えています。わずか12歳にしてすべてのヴェーダをマスターしたと言われています。その短い生涯の間に多くの優秀な弟子を育て、四つの寺院を建立し、数多くの著作を残しました。
 もともと彼は8歳の寿命しかないと言われていましたがアガスティア仙から8年を、ヴィヤーサ仙から更に16年を追加してもらって32歳まで生き、役割を果たし昇天されたと伝えられています。シャンカラと言うのはシヴァ神の別名でもあり、彼をシヴァ神の化身と考える人もいます。生前、数多くの奇跡を起こしたことでも有名です。

シャンカラが幼いころワニに襲われ河に引きずり込まれそうになりました。シャンカラは母に向かって「出家を許して下さるならワニは離すでしょう」と叫びました。母が思わず「許します」と言うとワニはシャンカラを離して消えてしまいました。出家に反対する母親の許しを得るためシャンカラが幻でワニを現出させたと言われています

シャンカラがワニに噛みつかれる

 シャンカラの母親は毎日3キロの距離を歩いて、川に水浴に行っていましたが、ある日、疲れて気を失ってしまいました。それを知ったシャンカラ少年がクリシュナに祈ったところ、その純真な願いが聞き入れられ、川が突然流れを変えて家の近くを流れるようになりました。彼は子供の時から熱烈なクリシュナ信者でもありました。

 成長して、弟子を連れたシャンカラがベナレスを歩いていると、サンスクリットの文法を覚えようと一生懸命になっている老人に出会いました。シャンカラはそれを見て気の毒に思い、「時間を無駄にせずに、クリシュナを讃え愛しなさい」と諭すのでした。天才シャンカラがただの学者ではなく信仰者であったことを示す逸話です。

 この時、彼の残した詩句バジャ ゴヴィンダンはクリシュナを讃える歌として、今もインドで広く歌われています。(その中の一部意訳)

   Bhaja Govindam 

ゴーヴィンダ(クリシュナ)を讃えよ 

ゴーヴィンダを崇拝せよ 
ゴーヴィンダを愛せよ
お~ 愚かな者よ 死ぬ時には
文法の知識はお前を助けてくれない

 

富への強い欲望を 心から拭い去り

清く正しい道を歩め

​懸命に働いて得た収入で満足せよ

お金を儲けて健康ならば 家族から頼られよう
しかし収入が無くなって 年を取ったら 
誰もお前に話しかけようともしない

 

たとえ少しでもバガヴァッド・ギーターを学んだなら ガンガーの水を一滴でも飲んだなら
一度でもムラリ(クリシュナ)を
崇拝するならば
死の神ヤマもお前の事を
とやかく言わないだろう

 

何度も何度も誕生し、何度も何度も死に、

母の子宮に繰り返し入り
人生の海で格闘しなければならないのか
お~ クリシュナ 

限りなきご慈悲で私を守ってください

 

覚えておくがいい 富の追求は無意味である
富からは幸せを保つことができない
お金を追い求める者は 息子をも恐れる
それが富というものの性質なのだ

 

ゴーヴィンダを讃えよ

ゴーヴィンダを崇拝せよ
ゴーヴィンダを愛せよ!

何故なら 神の聖なる御名を愛して

いつも想うほかに

生の海を渡る方法がないからだ

アディ シャンカラチャリア
Bhaja Govindam シャンカラ教訓を与える

​必死に文法を覚えようとしている老人

クリシュナに祈るシャンカラ
ジャガンナート

​ジャガンナート

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 東インドのオリッサ地方やバングラデシュで絶大なる人気を誇るのがジャガンナート神(全宇宙の主=クリシュナ)です。

 その変わった形の神像のいわれについてのお話です。昔、ある王が壮麗な寺院を建てました。その王の夢に神が現れ言われました。「プリの近くの海に三つの丸太が浮かんでいるのでそれで神像を作りなさい」と。しばらくしてある老人(実は建築の神ヴィシュワカルマン)が現れ、「私が彫って進ぜよう、しかし完成までは決して覗かないように」と言うのでした。2週間ほど経ち、ノミの音が全く聞こえなくなったので、ひょっとしたら老人が死んだのではないかと思って、王が中を覗くと老人は忽然と消えてしまいました。その夜、王の夢に神が現れ、覗いたことを厳しく叱責しました。恐縮する王でしたが、「まだ像には手も足もできていません、どうしたらよいでしょうか」と伺うと、「そこに色を塗ればよかろう」という話になったそうです。そんなに簡単なことなら初めからそうすればよかったのにと思ってしまいます。

jagannath  ジャガンナート
ジャガンナート寺院
ジャガンナート寺院

  それはともかくインドではシヴァ神の象徴のリンガがシヴァ神の代わりに祀られていたり、どこにでもありそうな岩に目と口だけを塗料で書いてそれがご神体になっていたり、象徴的な祀り方をするケースが多々あります。インド映画の傑作AMMORUでは原始的な黄色い岩から美しいドルガー神が出入りします。こういうものは神と人とをつなぐ門のようなものなのでしょう。西洋とは違った感性が有るようです。

 ちなみにジャガンナート神は三体一緒に祀られます。黒はクリシュナ、白はクリシュナの兄バララーマ、赤は妹スバドラー女神と同一視されています。

 寺から山車が出る祭りのときは熱心な信者で街はあふれかえります。祭りで熱狂するのは全世界共通です。神に対する素直な思いが表面化するのでしょうか。

Ammoru アンモル

左の女神がドルガー(スバドラー)で真ん中の黄色い岩がその象徴。女神カーリーと同じく舌を出してます。黄色い岩をご神体として後に寺院が建てられることになります

カーリー女神

南インドの映画の特徴として、大量に血が出る場面があるので心臓の悪い方は見ないでください

ムラリと呼ばれる方
ムラリと呼ばれるお方

 聖者カシュヤパにムラと言う名の子供がいました。彼は強くなろうと何年もの間、苦行を続けた結果、目の前にブラフマー神が現れました。恩寵を求めよというブラフマーの言葉にムラは不死身の体を求めましたが、それは無理だとのことで、別の恩寵を与えられました。それは戦場において、たとえ相手が不死身であってもムラに触られた者は直ちに死ぬという恐るべきものでした。その結果、彼は無敵になりました。

悪魔ムラ

 彼はさっそく天国の王インドラに挑戦しましたが、インドラは戦意を喪失し天国から逃げてしまいました。調子に乗ったムラは今度はヤマ(死の神)の国を侵略しました。ヤマもまた恐れてヴィシュヌ神のもとに逃げ込みました。ヤマの嘆願を聞いたヴィシュヌはムラを自分のもとに来させるようにと言われました。

  意気揚々とやってきたムラは、ヴィシュヌに対し俺と戦えと言います。ヴィシュヌは微笑んで言われました。「よかろう。しかし、どうしてお前の心はそんなに震えているのか? 私は臆病者と戦う気はない。嘘だと思うなら自分の心臓の鼓動を確認してみるがよい」と。
 思わずムラが自分の手で胸に触れると、たちまち倒れて死んでしまいました。ムラはヴィシュヌにまんまと騙されてしまいました。「私は詐欺師どもの賭博」(バガヴァッド・ギーター10-37 ) クリシュナの知恵に勝るものは誰もいません。

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 アリ(Ari)という言葉は敵という意味です。ムラ(Mura)の敵ヴィシュヌ(クリシュナ)はムラリ(Murari)となります。

  なお別の説によれば、フルートの事をムラリ(Murali)と言い、クリシュナはその名手であったのでムラリ(Murari=Muraliの持ち主)と呼ばれるようになったそうです。

麗しきクリシュナよ

​麗しきクリシュナ・ヴィシュヌよ!

肌は雨雲のように青く  
頭にはクジャクの羽の付いた王冠を被り
端正な顔立ちで 

輝くような微笑みを浮かべている

目はハスの花びらのように美しく
耳にはマカラのイヤリング、

首には真珠や宝石のネックレス

そして五色のガーランドを飾られる

 

胸にはシュリヴァッツァの巻き毛が輝き 
カウストゥバの宝石がきらめく
サフラン色のシルクの布を身にまとい 
黄金のベルトを締められる
主が優雅に歩かれるとき 
足首に付けた足輪やアンクルベルが
チリンチリンと美しい音を奏でる

 

長い四本の腕には様々な腕輪が巻かれ
それぞれの腕に円盤(スダルシャナ・チャクラ)、法螺貝(パーンチャジャニヤ)、ハスの花、棍棒(カウモダキ)を持たれている
主のパーンチャジャニヤが鳴り響くと
悪魔は恐ろしさの余り 震えあがる

 

献身者には 限りなく優しいお方でも
悪魔にとっては恐ろしき難敵 
主は一瞬にしてチャクラで首を刎ねられる
その手首にはシャマンタカの宝石が光り
主の美しさを一層際立たせる

 

二本の手のクリシュナの姿をとられる時

手にフルートを持って

甘美な調べを奏でられる

 

その妙なる音色を聞いたならば 

生きとし生けるものは皆 恍惚として
愛に満たされ 我を忘れてしまうだろう

ヴィシュヌ
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クリシュナのフルートをきく牛たち

【注釈】

マカラワニのような魚

シュリヴァッツァ:吉祥のしるしでラクシュミー(シュリー)が住むと言われる。

カウストゥバ:天地創造の時、乳海攪拌によって生まれ出てきた宝石  。太陽、月、聖なる牝牛、天女、ラクシュミー女神なども乳海攪拌から生まれた。

シャマンタカの宝石:太陽神がサトラジット王(クリシュナの妃サティヤバーマの父)に与えた無限の富を出す宝石。サトラジットよりクリシュナに捧げられた。

  しばしばヴィシュヌ(クリシュナ=ヴァースデーヴァ)の背後に竜王シェーシャ(アナンタ=無限なる者の意)が描かれる。

詩聖サーダス

​詩聖サーダス

 16世紀の盲目の詩人(歌い手)のサーダスは生涯に10万句もの歌を作りクリシュナを讃えました。その伝説の一つです。ムガール帝国の皇帝アクバルは500人もの歌い手を抱えていて、その中でタンセンが一番でした。彼が歌うと、消えていた灯明の火がまた灯り燃えだしたと言われています。
 ある日、アクバルがタンセンを誉めたたえると、彼は「そういうことをおっしゃってはなりません。神こそが私たちすべてに力をお与える方です。人に優劣をつけるものではありませんが、サーダスこそが一番の歌い手です」と答えるのでした。

 アクバルはそれを聞くとサーダスに会いたくてたまらなくなりました。そこで彼に輿をつかわして宮廷に招き入れました。大広間に大臣や多くの家臣を集め、その前で歌を歌わせましたらその美しきこと、この上もありません。彼は思わず自分の首にかけていた高価な首飾りをはずすと彼に褒美として与えました。

サーダスの歌を聞くクリシュナ

  サーダスはそれを大臣の手から受け取ると、「クリシュナ!」と叫んで空に放り投げました。それを見た皇帝と大臣たちは何と無礼なと気色ばみました。サーダスは落ち着いて答えました。「私は主クリシュナに捧げたのですが、お気に召さないならクリシュナにお願いして返していただきましょう」。彼がクリシュナを念じ、両手のひらを広げると天から様々な首飾り、宝石がざっくざっくと落ちてきました。「私は目が見えません。どれをお返ししたらよろしいでしょうか」との問いにアクバルはびっくり仰天してサーダスのもとに駆け寄り、その手を取って自分の不明を詫びるのでした。

 もう一つの伝説ではサーダスはマトゥラ(クリシュナの生誕地)のクリシュナ寺院に行ったときクリシュナの恩寵により一時は目が見えるようになったのですが、今、見たクリシュナの神々しい姿を心に焼き付けておきたいので、元に戻してくださいと願い出てまた見えなくなったと言われています。悪王カンサの大臣でありながらクリシュナの献身者であったアクルーラがその過去世だとも言われています。

  移り変わってゆくこの世の姿(幻)にとらわれることなく、彼のように神への想いを強く持ち続けることこそが本当の幸せにつながることを示唆しているのでしょうか?

チャイタニヤ 漁師の網にかかる

チャイタニヤ

 聖者チャイタニヤ(1485-1533)は若年にしてヴェーダの教えを極め、大天才と言われましたが、ある日から知識を捨てて神への信仰一筋になりました。クリシュナのことを思っただけですぐに三昧境(サマーディ)に入り意識を失なわれたと言われています。
 ある秋の夜のこと、チャイタニヤは弟子たちと散歩に出られました。車座になって弟子たちと共にプラーナ(インドの説話集)を読み始めました。クリシュナと牧女ラーダたちがヤムナ川で水浴びをする場面で胸が一杯になり恍惚となりました。ふと目をあげると海原が目の前で月の光を浴びてきらきらと輝いています。チャイタニヤには海がヤムナ川に思えました。彼は弟子たちに気づかれることなく、海に向かって一目散に駈けだして飛び込みました。

ゴーピーと水遊びをするクリシュナ

 弟子たちは師の姿が見えなくなったので、夜通し探しましたがどこにも見当たりません。夜が明けても見つからず不安な気持ちにさいなまれていると、一人の漁師がハリ ハリ(クリシュナの別名)と叫び踊りながらやってきました。どうしたのかと聞くと、漁に出たら死体が網にかかったが、その死体を触わったとたんに体が震えだし涙があふれ、このように踊ってしまいます。きっと悪霊にとり憑かれたのでお祓いをしてもらいに行くところですと言います。そこでひょっとしたらと思って網の中を見せてもらうと果たしてチャイタニヤでした。体は真っ白で砂だらけ。体中の関節が外れて皮膚だけでつながっていて亀のような異様な姿でした。

 しかし弟子たちが耳元でクリシュナの御名を唱和すると正気に返られ、外れていた関節が一瞬にしてもとに戻りました。チャイタニヤは言いました。私は今クリシュナとラーダの遊戯を楽しんでいたのにどうして邪魔をするのだと。

 20世紀の聖者ラーマクリシュナが語っています。この世は精神病院だ。ある人は金に狂い、女に狂い、地位名誉に、家族に狂っている。私が神に狂って何が悪いのかと。
 最先端物理学である量子力学では一切のモノは目に見えないエネルギーから出来ていると言っています。ヴェーダは、この世は精神エネルギーで出来ていて幻(マーヤー)だと言います。量子力学がヴェーダと同じことを言っているのは大変興味深いことです。

チャイタニヤ 漁師の網にかかる
動物と踊るチャイタニヤ

ヴァジラ(インドラ神の武器)

インドラの武器

  インドラは柴又の帝釈天で有名な神々の王です。かつてインドラが魔神ブリトラと戦ったとき、悪魔軍の猛攻によって負けそうになりヴィシュヌ神(神々の上の最高主)のもとに助けを求めて駆け込みました。主は「ダディアン仙人に頼んで、その骨から武器を作りなさい。私がそこに力を注ぐので、それでもって容易にブリトラを殺すことができるだろう」と言われました。インドラはそれを聞くと直ちに仙人を訪れて、その肉体を求めました。

 仙人が「愛着のある肉体を捨てるのは大変苦しいことです。どうしてそのような無体な申し出をされるのですか」と断りますと、 インドラが言いました。「何をおっしゃるのです。主のご意思をお聞き届けにならないあなた様ではないでしょう」と 。すると仙人は「私はあなたの心が知りたくて言ったまでのこと。いずれは朽ち果てる肉体に何の未練がありましょうか。」と言って瞑想に入るや、たちまちにして魂が体から抜けだし主と融合しました。インドラは天界の工芸師ヴィシュワカルマに命じて、その亡骸の骨からヴァジラという武器を作らせて、ブリトラを倒すことができました。

東寺の帝釈天像
東寺の帝釈天像
ヴィシュワカルマ

ヴィシュワカルマは天界の建築家で宮殿や飛行船、また様々な武器や工芸品を作る神です。

インドでは建築家、技術者、専門職などの神様として崇拝されています。右の手にヴァジラを持っています。

弘法大師
​右手に金剛杵(ヴァジラ)を持つ弘法大師

 密教法具の金剛杵(ヴァジラ)は煩悩を破る武器と言われています。その起源はこの話から来ているようです。人々の安寧のために肉体を捨てる仙人の話は、南インド映画の「アルンダティ」に取り入れられて大ヒットしました。インド人の精神性を示すものと言えるでしょう

牛飼いゴパーラ

マーダヴェンドラ・プリがゴパーラの像を発見する

マーダヴェンドラ・プリ

 彼は牛乳を飲んだ後、壺を洗って少年が戻ってくるかと待っているうち夜になり、うつらうつらしていると夢の中に、その少年があばら家を手に持って現れて言いました。「僕の名はゴパーラ(牛飼いの意でクリシュナの子供の時の呼び名の一つ)。この土地の持ち主です。私に仕えていた者は異教徒の侵略を恐れて、私をあばら家に隠して逃げてしまいました。暑いときや寒いとき、雨の降るときなど大変です。どうか私をここから出して丘の上に祠を作ってください」と。

 15世紀の聖者マーダヴェンドラ・プリはクリシュナの生地のブリンダーヴァンを訪れ、あちこちをめぐり歩きゴヴァルダンの丘(クリシュナが子供の時に持ち上げたと言われる山)にやってきました。クリシュナを想うと恍惚として倒れ臥してはまた起き上がり、喜びで昼も夜も忘れるほどでした。

 ゴヴァルダンの丘の周囲を一回りしてある木の根元に座っていると、一人の少年がやってきて牛乳の入った壺を差し出し「どうぞ牛乳を飲んでくださいな」と言いました。プリが「君はどこの子なの。どうして私が食べていないのが分かったの?」と聞きますと、「僕はここの牛飼いです。ここでは断食をする人は誰もいません」と言うと突然姿が消えてしまいました。

ゴパーラがプリの夢に現れる
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 彼は翌朝、村人を集めて語りました。「私たちの神ゴパーラがあばら家にいらっしゃいます。皆で救い上げて、お祀りしましょう」と。村人たちはその話を聞いて大いに喜び、プリのあとについて行って、スコップや鍬であばら家の草や土を除くと黒いクリシュナの像が現れました。村人たちはその像を丘の上に運び上げ、綺麗に水で洗って磨いた後に白檀、ツラシの葉や花輪で体を飾り、牛乳、ヨーグルト、ギーや様々な料理を持ち寄って盛大にお祭りをしました。ゴパーラ(クリシュナ)が現れたという噂は村々に広まり多くの人が訪れるようになりました。この像はクリシュナの孫アニルッダの子供ヴァジラによって彫られたものと言われていてスリナトジ(現在はナスドワーラに祀られている)として有名です。

ドラウパディ(婦徳の鑑)

 ドラウパディ(婦徳の鑑)

 主クリシュナの帰依者にてパーンドゥ王子たちの妻ドラウパディは夫たちに良く仕え婦徳の鑑と言われました。まだ若い五人の子供たちはマハーバーラタ戦争が終わらんとする直前、軍師ドローナの息子アシュヴァッターマンの夜襲を受け無惨にも全員殺されてしまいました。
 そのことを伝え聞くとドラウパディは悲しみのあまり、苦しみ悶えて泣き叫びました。夫の一人アルジュナは復讐を誓ってアシュヴァッターマンを追いかけ、捕らえました。古代インドでは卑怯な戦い方は大きな罪とみなされます。女、子供を殺したり、夜襲を仕掛けたり、眠っている兵士を襲ったりするのはタブーです。そのすべてを犯したアシュヴァッターマンは死に値します。クリシュナはアルジュナにアシュヴァッターマンを直ちに殺すよう命じました。しかしアルジュナは彼を殺さずにドラウパディのもとに連れて帰ってきました

 ドラウパディは縄をかけられ、うなだれるアシュヴァッターマンを見ると憐憫の情を催して気丈に叫びました。「師の息子を開放してあげてください。尊いバラモンのお方です。母親のドローナ婦人の悲しみを増やしてはなりませぬ」と。
 いかなる理由があろうともバラモン殺しは大罪です。思慮の結果、アルジュナは彼の髪の毛を高貴な宝石もろとも切り落とすと森に追放しました。これはバラモンにとっては死に等しい重罰でした。クリシュナはアルジュナの大岡裁きを良しとされました。

アシュヴァッターマンを許すドラウパディ

いきり立つビーマ。なだめるクリシュナ。アルジュナに抑え込まれるアシュヴァッターマン。右はドラウパディ。

 ところで、何故かくも悲しいできごとがクリシュナの献身者のドラウパディに起こったのでしょうか。その理由を物質次元のまなこで詮索しても無駄なことです。ただ、神のなされることには必ず魂の救いがあることだけは確実です。それから何十年かしてクリシュナがこの世を去った後、ドラウパディは、夫たちとともに徒歩でヒマラヤに向かいました。ひたすらクリシュナ神を思って行進する途上で息絶え昇天したと言われています。

​ニーム・カロリ・ババ 

ニーム・カロリ・ババ

  インドにニーム・カロリ・ババという人がいました。(1973年没。生年不詳。)いつも毛布を体に巻いて裸同然で生活していました。ババの存在は米国人のラム・ダス(元ハーバード大学心理学部教授)によって広く欧米に知らしめられ多くの西洋人が彼の元に殺到しました。神話の世界は現代でも繰り広げられています。その一端をご紹介します

 突然マハラジの足もとにいた少女が泣き出しました。みんなが理由を尋ねると、彼女はこう答えました。「なぜかわからないわ! でもマハラジの胸の中にラーマとシータがいるのが見えたのよ」 彼女はシーターの服装や二人がどのように見えたのかを話しました。マハラジは何も言いませんでした。

  マハラジは病気のふりをして、部屋の鍵を外からかけさせたことがありました。そのあとでマハラジが道を走っている姿を見かけました。どうやって鍵のかかった扉を通り抜けたのかと尋ねると、マハラジはこう言いました。「猿は蚊のように小さくなって、窓から跳んでいった」

  マハラジの乗った車が橋にさしかかりました。ところが反対側から雄牛に引っ張られたサトウキビの荷車が何台も現れ、すっかり道を塞いでしまったのです。運転手はスピードを落としました。「なぜスピードを落とすんだ?」「通れません。マハラジ」「行きなさい」

運転手ができないと抗議すると、「目をつぶって行きなさい」とマハラジは言いました。運転手は目を閉じてアクセルを踏み込みました。次の瞬間、目をあけると向こう岸に着いていたのです。

ニーム・カロリ・ババに帰依する西洋人

​ババと西洋人の帰依者たち

ニーム カロリババと西洋人

  マハラジの遺体が燃やされる火のそばで、古くからの帰依者が声を上げ、一晩中、「シュリ・ラーム・ジャエ・ラーム」を歌っていました。彼は燃える火の上にマハラジが座っているのを見たそうです。マハラジの両脇にはラーマとシヴァがいて、よく燃えるように頭にギーを注いでいました。頭上ではデーヴァ(神々)が花を投げ入れていました。みんなとても幸せそうに見えたそうです。

ラムダスとばばb

ラム・ダスとババ

ラムダスの本を読むニームカロリババ

カロリ・ババの言葉

「あらゆる宗教は同じだ すべては神へと至る道だ
神はあらゆる人のなかにいる 

同じ血が私たちのすべてを流れ
腕や足や心臓もすべて同じだ

ちがいを見てはならない

あらゆるものに同一性を見なさい。」   

「私は見るものすべてに、ただラーマを見る。

だからいつもすべてに敬意を払っている」      

ニーム カロリババ
心臓を開いて見せるハヌマーン

「私は何もしていない。神がすべてをなし給う。」

「お金を金庫に入れておくように 神を心に入れておきなさい。神を知るものはすべてを知る。ラーマ ラーマ ラーマ ラーマ ラーマ ラーマ   ラーマ ラーマ、、、、、」  【ラム・ダス著「愛という奇蹟」より】

ラム・ダスの本を見るババ

クリシュナダースはもともとはロック歌手でしたが、カロリババとの出会いが彼の人生を大きく変えることとなりました。

ラマナ・マハルシ

ラマナ・マハルシ

(1879~1950年)

  多くの西洋人がラマナ・マハルシの叡智を求めて南インドの片田舎にある彼のアシュラムにやってきました。高校を中退した彼のどこからその叡智がわいてきたのでしょうか。
   ラマナは16歳のある日、突然、激しい死の恐怖に襲われました。その時、死を恐れるこの自分とは一体何者なのかと思索する中で、自分の本当の姿はいずれ消えゆく肉体ではなくて永遠に存在するアートマン(魂)なのだと悟りました。宗教心に目覚めた彼は、まもなく内なる神の呼びかけに応じ、わずかな汽車賃だけを持って家出してしまいました。

ラマナ・マハルシの少年時代
若き日のマハルシ

 目的地は聖なる山アルナーチャラ山でした。その寺院の中で彼は何日も何日も瞑想にふけりました。その姿を見た子供たちが、石を投げていたずらをするので、彼は人知れぬ地下堂に入って瞑想を続けました。そこはかび臭く、毒虫や蚊の住みかでしたが瞑想で恍惚となり肉体意識を無くした彼には何の関係もありません。1か月後に発見されたときは、その脚は血や膿にまみれ、ひどい状態だったといいます。

 しばらくして若い聖者がいるとのうわさがたち、次第に周囲に一人また一人と弟子たちが増え、彼の亡き今は大きなアシュラム(僧院)が建っています。彼はカースト(社会階級)や 富、地位、老若男女、人間動物の間に差別を見ずに、すべてを神であると見ました。そのため彼には豹やコブラも従順であったと伝えられています。

ラマナ・マハルシ
マハルシと信奉者たち
アルナーチャラ山

♦「神への完全な明け渡しとは、すべての想念を放棄し、心を神に集中させることにある。もし、それができれば、他の想念は消え去る。もし、心、言葉、身体の行為が神に融けあえば、人生の重荷はすべて神のものとなる。」
♦「どんな人や生き物の苦しみを和らげようとするにせよ、それが成功してもしなくても。もし「私がこれをしている」という利己的な感情を抱かず、「神がこの奉仕を通して私を使ってくださっている、神が行為しているのであって、私は道具であるにすぎない」という精神で行えば、あなた自身、霊的に発展してゆくだろう。
♦「あなたは眠っている間、正しいとか間違いとかいう区別を見るだろうか? 眠りの中にあなたは存在していなかっただろうか? 目覚めの状態にあっても眠っていなさい。真我としてとどまりなさい。そして周りで起きていることに影響されずにいなさい。」
♦「真我の体験とは愛である。それはただ愛だけを見、愛だけを聞き、愛だけを感じ、愛だけを味わい、愛だけをかぐ。それが至福である」 (「アルナーチャラ・ラマナ」 ラマナ・マハルシの言葉より)

鳥の王ガルーダとカラス仙人
ガルーダとカラス仙人

 ヴィシュヌ神の乗り物ガルーダは鳥の王と言われます。ラーマ(ビシュヌ神の化身)が悪魔の幻術で蛇のロープで縛られたとき、ガルーダはすぐさま助けに駆け付けました。蛇の天敵は鳥です。蛇はガル-ダによって退治されるのですが、段々とガルーダの心に『これまでヴィシュヌを宇宙の主と崇め仕えてきたが、実際は違うのではないか。悪魔に縛られるとはどういうことか。』との疑いが忍び寄ってきました。

 その疑いに答えを得ようと、シバ神のところに行ったところ、カラス仙人のところに行きなさいと言われました。早速、カラス仙人のもとを訪れると、ちょうどラーマーヤナのお話をされるところでした。そのお話を聞くうちに、心の中にラーマへの愛が染み渡り、疑いの気持ちが跡形もなく消えてしまいました。

 ガルーダは気づきました。『実はラーマは私にカラス仙人の話を聞かせ、主への信愛を深めさせるために、わざと悪魔に縛られてくださったのだ。すべては神の恩寵だったのだ』と。神の御心は海よりも深く愛にあふれています。

 一方のカラス仙人は、昔々、ある僧侶の弟子でした。その僧侶はシバ神に献身し、またヴィシュヌ神を至高の神と崇めていました。しかし、傲慢になった弟子の彼は、ヴィシュヌ神を冒とくして、師匠を悲しませました。ある時、彼がシバ神の祭事をしていた時、師匠が寺院に入ってきましたが彼は挨拶しようともしませんでした。その時、おごそかなシバ神の声が寺院に響き渡りました。「無礼なお前は次は蛇に生まれるがよい」と。愛情深い師匠が驚き、お言葉を取り消してくださるよう懇願しましたが《撤回はできないが、前世の記憶を忘れることがないようにしよう》との神約を得ました。

 その結果、彼は、まず蛇に生まれ変わり、その後、様々な輪廻転生を千回も繰り返す中で、ラーマ神(ヴィシュヌ)の熱烈な信者へと変わり、やがてバラモンに生まれました。しかし思わぬことより、ある仙人の呪いを受け、カラスの姿に変えられてしまいました。しかし心にラーマしかない彼にとって外観などどうでもよいことです。カラスは喜んで空に飛び立ってゆきました。後悔した仙人は彼を呼び戻すと、ラーマを拝観する呪文を授けました。その結果、彼はやがてラーマから直接の祝福を得ることになります。カラスの姿になったからこそ、ラーマの祝福という最高の喜びを得ることができたのです。そのため彼は今もその姿を保ち、カラス仙人と呼ばれています。

カラス仙人とヴィシュヌ.jpg
カラス仙人に教えを乞うガルーダ
ガルーダに乗るヴィシュヌ神
カラス仙人
ガルーダ

​ガルーダに乗るヴィシュヌ神

​カラス仙人とヴィシュヌ神(ラーマ神)

​カラス仙人の説法を聴くガルーダ

  ガルーダにせよカラス仙人にせよ、一切の出来事の背後にラーマ(クリシュナ・ヴィシュヌ)の意向が働いていたのです。この世において、様々な迷いや悪く見えることも、その人を神に導くための大きな計らいなのかもしれません。

 鷲王ジャタユの昇天 (ラーマヤンより)

鷲王ジャタユの昇天

  鷲の王ジャタユが空を飛んでいると、突然、空を荒々しく駆ける軍車が現れました。そこには少女が乗っていて悲鳴を上げていました。ジャタユはそれがラーマの妃のシータと知ると、命を顧みず怒りの形相で魔王ラーヴァナに襲いかかりました。その決死の一撃にラーヴァナは一旦、気絶しシータを取り落としてしまいました。しかし、ラーヴァナはすぐに目覚めると怒り狂って、空高く舞い上がりジャタユの羽を根元から切り落としました。ジャタユは真っ逆さまに地に落ちてしまいました。

魔王ラーヴァナを襲う鷲王ジャタユ
​ラーヴァナを襲うジャタユ(池田運 ラーマヤン挿絵より)

 さてラーマが森でシータを探していると、血まみれの動物を見つけました。ジャタユはその時、苦しみながらもラーマを一心に念じていました。ラーマはそれを見ると、ジャタユに近づき、その頭を優しく撫でられました。ジャタユは絶え絶えの息でラーマに事の顛末を告げるのでした。死に際してラーマ(最高神)を目の前にして死ねることほど幸せなことはありません。ジャタユの心は喜びで一杯になりました。

ジャタユの昇天

  ほどなくしてジャタユは事切れましたが、その魂は、美しい天人の姿へと変わり、ラーマを賛美しつつ昇天してゆきました。肉食獣として多くの動物を殺めてきた罪深き鷲も、死に際してラーマを強く思うことで修行者でも難しい境地へと昇ることができました。道を求める者が、心に受け入れ準備ができたときに師(聖者)が現れると言われます。鷲の王ジャタユにも過去世から積んできた大きな功徳があったにちがいありません。

バガヴァッド・ギータ第8章5,6,7節 『臨終において私のみを想うものは、肉体から離れて私の中に融合する。疑ってはならない。何ものを人が思おうと、それと同じものを死の瞬間に思い出し、そのもとに彼はゆく。それゆえいつも私を念じて戦え。私に心と理性を定めるならば、必ず私のもと(神の国)に至るだろう。』

悪人アジャミラの救済

悪人アジャミラの救済

 バラモンのアジャミラは元々は信仰心厚く、誠実な人柄でしたが、ある日、森に行ったときに男女が裸で戯れる姿を見て、情欲に憑りつかれてしまいました。

 彼は先祖代々の財産を森で見た女の歓心を引くために使い、やがて愛人にすると貞節な妻を追い出しました。その女は次々と出産し、彼はバラモンの務めを忘れ、賭博や詐欺などをなりわいにして子を養うようになりました。

 彼は10番目の子供をナーラーヤナと名付けました。その子がかわいくてかわいくて目の中に入れても痛くないほど、考えることはその子のことばかりでした。こうして時を過ごすアジャミラは88歳になり、死の時を迎えることになりました。

アジャミラの前に現れたナーラーヤナの使い
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 眼前に身の毛もよだつ姿をしたヤマ神(死を司る神)の使いが現れると、彼は恐ろしさのあまり、末っ子の名前を呼びました。「ナーラーヤナ」と。するとどうでしょう。美しい姿をしたナーラーヤナ神の使いが現れました。

 極悪人のアジャミラを地獄に引き立てようとするヤマ神の使いに対し、ナーラーヤナ神の使いは、彼を連れてゆかないよう断固言い張りました。「彼は死の瞬間にナーラーヤナの名を呼んだのだから罪は許されたのだ」と。すごすごと戻ってきた部下の報告を受けたヤマ神は「偉大なナーラーヤナ様に従うように」と部下に命じました。アジャミラの命は間一髪のところで助かりました。

 その一部始終を見ていたアジャミラの心に深い慙愧の思いがわいてきました。私はなんと愚かだったのだろうと。

 彼は一人で家を出ると、ガンジス川の聖地へと向かいました。そこで彼はひたすらナーラーヤナを思い瞑想にふけりました。やがて時が満ち、ナーラーヤナの使いが現れました。彼がガンジスの水で身を清めるや、その霊体は光に輝く美しい姿へと変貌しました。彼の魂は天車に乗ってナーラーヤナの使いたちと共に神の国(ヴァイクンタ)へと旅立ってゆきました。

 どんな悪人でも死にあたってナーラーヤナ(ヴィシュヌ)の名を唱えれば救われる。ナーラーヤナの名前はそれほどの力があるというお話です。

 現実は、そう単純ではないと思われますが、その功徳の大きさには否定できないものが有るようです。

シュリマン ナーラーヤナ ハレー ハレー(シュリマンもナーラーヤナもヴィシュヌ神の別名)

ヴァイクンタに招かれるアジャミラ
神話3へ続く
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